福井地方裁判所 昭和37年(ワ)123号 判決 1965年2月05日
原告 小林織物株式会社
被告 国
訴訟代理人 水野祐一 外三名
主文
被告は原告に対し金一、三四八、七五三円及びこれに対する昭和三七年八月二三日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
原告その余の請求を棄却する。
訴訟費用はこれを二分し、その一を原告の、その余を被告の負担とする。
事 実 <省略>
理由
一、別紙目録記載の不動産(本件土地)が、訴外吉川よしゑの所有であつて、登記簿上も同人の所有となつていたところ、昭和三三年三月二八日大阪法務局北出張所受付第六、三二二号をもつて、取得者を訴外高井太三郎とし、原因を同年同月二七日売買とする所有権移転登記(本件登記)がなされたことについては、当時者間に争いがなく、成立に争いのない甲第一号証、第二号証の一、二、第四号証の一ないし七、第五号証の一ないし五、証人高井太三郎、樋口勝男の各証言を総合すると、訴外山本龍美、入江某、らは、所有者吉川よしゑの意思にもとづかずに、同人の前所有者吉川仁太郎から吉川よしゑに対し、本件土地を売渡した旨の登記済証、吉川よしゑの委任状、同人の印鑑証明書の印影を偽造して、これを訴外高井太三郎に交付し、同人において右書類ともとづき、昭和三三年三月二八日本件登記申請をしたところ、大阪法務局北出張所の登記官吏は、これを受理し、実体上の権利移転を伴わない前記所有権移転登記(本件登記)がなされたことが推認され、他に右認定を動かすに足る証拠はない。
二、原告は、前記の如き偽造の登記済証による登記申請を看過して、本件登記を了したのは、大阪法務局北出張所登記官吏の過失である旨主張するので、この点について検討する。
(一) 前掲甲第二号証の一、二、第四号証の二、同号証の七、第五号証の一に、証人樋口勝男、長谷中辰造の各証言をあわせると、右偽造にかかる登記済証は、昭和二九年一一月三〇日付訴外吉川仁太郎作成名義の訴外吉川よしゑに対する不動産売渡証書であつて、その末尾には、昭和二九年一一月三〇日付大阪法務局北出張所受付番号第二九、〇七六号による登記済の記載があるところ、右登記済証に対応する登記簿の記載は、昭和二九年一一月三〇日右出張所受付第二九、〇七六号をもつてなされた登記原因を同年一〇月二五日相続とする所有権移転登記であつて、右登記済証の記載と登記簿の記載とを対比するときは、登記原因及びその年月日の記載が合致していないことは、一見して極めて明白であること、したがつて、登記官吏において、これに要求されるいわゆる形式的審査義務を履行するために、必要な程度の注意をつくしていれば、右の不合致は、容易に発見することができた筈であるのに、右出張所の登記官吏は、当時登記事務が多忙であつた等のため、右の不合致に気付かず、したがつて、前記登記済証の偽造を発見することができずに、本件登記を終了せしめたことが認められ、右認定に反する証拠はない。
(二) しかして、不動産登記法第三五条によれば、登記を申請する場合には、登記義務者の権利に関する登記済証の提出を要するものとされており、右規定は、当該登記の申請が、これによつて不利益を受ける登記義務者の真意に出でた真正なものであることを保障せんがためであるから、登記官吏としては、右登記済証が真正に成立したものかどうかを、その外形上から確認する職責を有するものというべく、そのためには、登記済証の記載と登記簿の記載とを対比して、それが合致するかどうかの点を調査することも、当該登記申請書類の調査を担当する登記官吏として、当然なすべき、いわゆる形式的審査の範囲内に属する事項であると解すべきである。
しかるに、前記出張所の登記官吏が、本件登記申請に際し、申請書に添付された登記済証の前記記載と登記簿の記載との不合致を漫然看過して、本件登記を終了せしめたことは前認定のとおりであるから、右登記官吏には右形式的審査義務に違背した過失があつたものといわなければならない。
三、成立に争いのない甲第一号証、第二号証の一、二、乙第一、第二号証、原告会社代表者小林稔の供述により真正に成立したものと認められる甲第三号証及び同供述、証人高井太三郎の証言並びに鑑定人中村忠の鑑定の結果を総合すると、原告は、本件登記を有効なものと信頼したため、昭和三三年四月一五日訴外高井太三郎より売渡担保の目的をもつて、本件土地の所有権移転を受け、同日その旨の登記手続を完了し(該登記のなされたことは当事者間に争いがない)、右担保を見かえりとして、同訴外人に対し人絹織物を売渡して来たところ、昭和三四年一二月九日現在において、同訴外人に対し金二、六四七、五〇六円の売掛代金債権を有するに至つたこと、しかるに前記本件登記申請に際し、その申請書に添付された登記済証は、前認定のとおり偽造文書であつたため、訴外吉川よしゑより原告主張のごとき所有権移転登記抹消登記手続請求訴訟が提起された結果、原告らは右訴訟において敗訴し、本件登記及び前記原告の所有権取得登記は、いずれも抹消されてしまつたこと(該訴訟の経過及び登記抹消の点は当事者間に争いがない)、そのため原告の訴外高井太三郎に対する前記売掛代金債権二、六四七、五〇六円は、その後同訴外人の倒産とともに回収不能となつたこと、本件土地上には、昭和三〇年頃から訴外吉川よしゑ所有の建物が存在していたけれども、右建物は未登記であるから、本件土地の価格は、いわゆる更地価格によるべきところ、前記原告の所有権取得登記完了当時における該価格は、三、一一一、〇〇〇円であつたこと(本件登記当時における本件土地の坪数が、九一坪五合と登記簿上記載されていることは、右当時区画整理完了登記手続が未了であつたことによるものであるから、右価格に変動を及ぼすものではない)、以上の事実がそれぞれ認められ、右認定に反する乙第四号証の二の記載は、前掲証拠に対比して信用し難く、他に右認定に反する証拠はない。右認定の事実によれば、原告の回収不能となつた右債権額二、六四七、五〇六円が本件土地の価格の範囲内であることは明らかであるから、原告は、前記登記官吏の過失により本件土地に対する所有権を否定された結果として、右同額の損害を蒙つたものというべきである。
四、被告は、原告の右損害は、実体上の理由による損害であるところ、登記官吏の審査権は、形式的審査の範囲に限られているのであるから、右損害の発生と登記官吏の行為との間には、因果関係がない旨主張するけれども、原告の前記損害は、登記官吏の形式的審査の範囲に属する調査義務に違背した不注意に基因して発生したものであること、前認定のとおりであるから、被告の右主張は理由がない。
五、被告は、また現行登記制度上、登記に公信力がないことを理由として、前記登記官吏の行為と損害との間には因果関係がない旨主張する。なるほど、わが国の登記制度上、登記に公信力が認められていないことは、被告主張のとおりであるが、登記に公信力のないことは、登記官吏の過失の有無に関係がないのであつて、登記の記載が、厳格な形式的審査を経て登載されるものであること、登記には現実に公示力、推定力、対抗力等強い効力が認められていること及び不動産取引をなす者の登記によせる信頼は極めて大であること等の実情を考慮すれば、登記官吏の過失により偽造の登記済証にもとづく実体と異なる登記がなされた場合、後に右登記を信頼した者が不測の損害を蒙るべきことは、通常起り得ることというべきである。したがつて、単に公信力がないからといつて、登記官吏の過失と損害との間の因果関係を否定することはできない。
六、次に、被告は、前記原告の訴外高井太三郎との取引による損害額は不当である旨主張するが、前記認定の右損害額二、六四七、五〇六円は、原告が、同訴外人から売渡担保の目的で本件土地の所有権移転を受け、その旨の登記をなした昭和三三年四月一五日以後に行つた取引によつて生じた債権残額に相当するものであつて、同日以前の取引によるものが、右損害額中に包含されていないことは、前記甲第三号証の記載及び証人高井太三郎の証言によつて明らかであるから、右被告の主張は理由がない。
七、次に原告は、訴外高井太三郎より原告が本件土地の所有権移転を受けた際の、右移転登記手続費用として、司法書士及び測量士に支払つた金員及び前記所有権移転登記抹消登記手続請求訴訟に応訴した際の訴訟費用として、弁護士に支払つた金員についても、前記登記官吏が過失によつてなした本件登記に基因して、原告がこうむつた損害である旨主張するので、右諸費用のうち、まづ、登記手続費用について考えるに、原告会社代表者小林稔の供述に前記甲第三号証の記載をあわせると、原告は、右登記手続費用として、司法書士及び測量士に対し、それぞれ、その主張どおりの金員を支払つたことが推認される。しかしながら、原告の本訴請求は、売渡担保の目的たる本件土地に対する権利を喪失したことによる損害の賠償を求めるものであるから原告と右訴外人との間において、原告の支出した右手続費用に関して、右訴外人は原告に対して、これが全額償還の義務を負うべきこと、ならびに、これが償還義務は、本件売渡担保物件の清算処分金から優先的にその弁済がなさるべき旨の特約が存在すれば格別、かくのごとき特約の存在について格別の主張、立証のない本件にあつては、該損害額は、右売渡担保の被担保債権たる前記三指摘の債権額の範囲に止まるべきことは、当然と解すべきである。換言すれば、右登記手続費用は、前指摘のごとき特約のない限り、仮に、本件宅地が右訴外人の所有に属し、また、本件登記が有効なものであつたとしても、原告が前記売渡担保契約をもつて、第三者に対抗せんとするためには、当然、その所有権取得登記手続の履践を必要とする性質のものであるから、原告の期待どおり本件登記が有効であつたとしても、原告みずから、これを出害すべき費用に該るものというべく、もとより、本件登記が抹消されたことに基因する損害をもつて目すべきものではない。
したがつて、原告と訴外高井太三郎間における売渡担保契約において、右登記手続費用をも、その被担保債権に包含せしむる旨の契約が存在したこと、その他特段の主張立証のない本件においては、該費用をもつて、本件登記に基因する損害であると認定することは到底できない。
つぎに、前記弁護士に支払つた費用について考察するに、該費用は、原告が、本件登記及び自己の所有権取得登記を、いずれも有効なものと信頼していたが故に、前記訴訟に応訴し、そのために要した費用であるところ、前記認定のとおり該訴訟において、原告らは敗訴した結果、右弁護士に支払つた費用は原告の負担に帰したのであるから、右応訴が相当であり、かつ右費用が相当額である限り、右費用は、前記登記官吏の過失に基因する損害に該当するものというべく、被告は、これを賠償すべき義務がある。しかして、原告会社代表者小林稔の供述及び前記甲第三号証によれば、原告は、田中弁護士に対し前記応訴の費用として、前後二回にわたり合計五〇、〇〇〇円を支払つたことが認められ、かつ弁論の全趣旨によれば、右応訴は止むを得ざるところであつて、不当応訴とは認められず、また、前記甲第一号証によつて窺われる前記訴訟の態様に照し、右弁護士費用額五〇、〇〇〇円は、相当額と認められ、他に右認定を動かすに足る証拠はないから、被告は、原告に対し該費用相当額の金五〇、〇〇〇円を賠償すべき義務があるものといわなければならない。
八、しかして、不動産登記は、不動産に関する権利変動を、公簿に登録公示する国の公証事務であつて、公権力の行使としてなされるものであることは、明らかであるから、被告は、他に特段の理由がない限り、国家賠償法第一条により、原告の蒙つた前認定の損害額合計二、六九七、五〇六円を賠償すべき義務があるものというべきところ、被告は、過失相殺を主張しているので、この点について判断するに、証人高井太三郎の証言及び原告会社代表者本人尋問の結果によれば、原告と訴外高井太三郎間の売渡担保契約は、右契約の締結された昭和三三年四月一五日以降の取引について発生すべき同訴外人の債務を担保する趣旨であつたことが推認されるから、まず、被担保債権の特定について欠陥があつた旨の被告の主張は、その前提を欠くものというべきである。また、前記各証拠によると、被告指摘のごとく右売渡担保契約が書面によらざる、いわば、無方式のものであることを推認できるけれども、原告が、かかる無方式の契約を締結したことを目して、原告に過失の責ありとすることはできない。証人樋口勝男、高井太三郎、原告会社代表者小林稔の各供述及び前記甲第三号証並びに弁論の全趣旨によると、原告が本件土地につき訴外高井太三郎との間において、右売渡担保契約を締結した当時、同訴外人は原告に対し、従来の人絹織物取引に基づく残代金として、一、四四七、五七四円の未払債務を負担していたこと及び本件土地は大阪市に所在し、原告の住所とは遠隔の地であるから、その入手に当つては、該土地の入手経路、現状、権利関係、地上物件の有無等について、相当入念な調査をなすべきことが要求されて然るべきところ、原告は、かかる調査を行つた形跡がなく、却つて、その現地調査のため、樋口司法書士方の事務員と共に、本件土地の現地附近に赴きながら、他の土地を本件土地と誤認し、したがつて、本件土地上に訴外吉山よしゑ居住の建物が存在していたことにも気付かず、漫然調査を終つたことが認められ、右認定に反する証拠は見当らない。
右認定の事実によれば、原告は、不動産の取引に当る者として通常なすべき程度の注意義務をも、つくしていなかつたものというべく、この点において、原告の蒙つた前記損害は、原告自らの過失によつて招来した一面を有するものであることを否定できない。
原告は、右調査は専門家をしてなさしめたものであるから、原告には過失がない旨主張するが、右の調査義務が原告自身に存する以上は、原告から調査の依頼を受けた者が、その専門家であると否とに拘わらず、該調査義務をつくさなかつた前記過失の責任を免れることのできないことは明らかである。
右原告の過失の点を考慮すれば、原告の前記損害額は、前認定額の半額、すなわち金一、三四八、七五三円の範囲において、これを認めるのが相当である。
九、よつて、原告の本訴請求中、被告に対し右認定の額及びこれに対する訴状送達の日の翌日であること本件記録により明らかな昭和三七年八月二三日から支払ずみまで、民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める部分は、正当として認容すべきであるが、その余は失当として棄却を免れない。よつて、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条を適用し、仮執行の宣言はその必要がないものとしてこれをしないこととし、主文のとおり判決する。
(裁判官 後藤文雄 服部正明 高津建蔵)